2006.01.25

東大生vs片山さつき

という企画に参加してきました。くわしい内容については、来週月曜日に発売される雑誌『AERA』をご覧ください。とりあえず、片山さんはツンデレですね。間違いありません。

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2005.10.11

長澤まさみは違うんです!

巻頭グラビアの長澤まさみに惹かれて、ではなく、bewaadさんが絶賛していたので『月刊現代』11月号を買ってみた。いや、そんな、断じて長澤まさみ目当てで買ったわけでは……ないとは言えないけど、しかしまさか『セカチュー』の映画版を観たときから彼女が気になっていたなんて今さら暴露できるわけがないというか、むしろ家にテレビがないせいで『ドラゴン桜』に出てくる彼女が一度も観られなくて毎週金曜の夜はくやしさのあまり血涙を流しうわ貴様いきなり何をするやめ(AA略)。

(見苦しい文章でたいへん失礼いたしました。続きをどうぞ)

さて。件の『月刊現代』11月号、たしかにスゴい。つい先日の衆院選が特集されていて、何本かの記事が載ってるんだけど、なかでも「特命チーム“情報戦”工作の全貌」と題された取材記事は読みごたえがあった。

先の選挙で自民党が圧勝したのは情報戦が上手かったからだ、なんて言うと、大多数の人は「何を今さら」「当たり前じゃないか」と思うにちがいない。けど、それじゃあ、自民党はあの情報戦に勝ち抜くために、党内にどのような組織をつくり、どのような指揮系統を築き、新聞・週刊誌・テレビ局にそれぞれに対してどう干渉し、そして、全国の候補者にどういった本部指令を出していたのか、みなさんはその実態をご存じだろうか。きっとご存じないだろう。ぼくも当然、記事を読むまでは全くわからなかった。

勝手に要約させてもらうと、今回の自民党は、党内のコミュニケーション戦略チームに広報・宣伝の機能を一元化して、とくにそのトップである世耕弘成氏(元NTT広報部門)に権限を集中させ、通常の候補者はもちろん党の幹部もその指揮系統下に置き、義理人情ではなく統計データに基づいた「有権者受けのいい」街頭演説・マスコミ対応の方法を各候補者に指示して、マニフェスト作成では争点の変化を予測して複数の案を用意しつつ、状況にあわせて最適の案を選択するといった、いわば「合理的な情報戦略」をかつてない規模と精度で実行した、ということである(もちろん実際の動きはもっと具体的だけど、誰が、いつ、どのように動いたのか、といった細かい情報が知りたければ、本物の『月刊現代』11月号を読んでほしい)。

気がついた方は気がついたと思うけど、こういった情報戦略は、ことさら斬新ではないし、コロンブスの卵のように驚くようなアイディアが入っているわけでもない。「権限の集中」「指揮系統の一元化」「データの重視」「重要案件における複数の選択肢の用意」など、当たり前のことを当たり前に、ひたすら合理性を突き詰めただけのシンプルな戦略だ(往々にして強力な戦略ってのは美しいほどシンプルなんだが)。むしろ、この程度のことが日本の国政選挙では実行されていなかったのかと、ぼくは逆の意味で驚いてしまった。

今回惨敗した民主党も、きっとこの記事をチェックしているだろうし、大失態を演じたフライシュマンヒラードジャパン(民主党のPR会社)も自民党側のやり方を研究して、プラップジャパン(自民党のPR会社)にやられたことをやり返そうとするだろう。そうなると次の選挙はどうなるのか、すでに方向性は見えているような気がする。bewaadさんはこういう広報・宣伝戦略の肥大化を「プロメテウスの火」と呼んで憂慮なさっているようだけど。

というわけで、今月の『月刊現代』はオススメ。本屋で見つけたら、ぜひともご一読を。飲み会でエラソーにうんちくたれるのにも使えますぜ、旦那。それに、何といっても長澤まさみのグラビアが(ry

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2005.09.26

今さらだけどFFVII

いつのまにか『ファイナルファンタジーVII アルティマニア・オメガ』なんてものが発売されていたようで、びっくり。さっそく本屋さんで入手しようと思ったら、行くところ見るところ、あらゆる書店で売り切れてやがる。うう、くやしい。

なんて書いたけど、実を言うと、少しだけうれしい。どこに行っても売り切れてるってことは、つまり、ぼく以外にもたくさんの人が(もしかしたらぼくと同じように必死で探して)買っていったってことだろうから。発売当初からずっと好きだった作品が、大量消費されるゲームソフトの一つとして忘れ去られていくことなく、こういうファンブックや続編DVDになって再び話題になっているのを見ると、ああ、そうか、この作品は10年近い月日が経ってもまだ、これだけたくさんの人に愛されているんだな、と想像がはたらいて、ちょっとうれしくなる。ま、初版の部数が少ないからってのもあるんだろうけど。

いずれにせよ、早く採点バイトの無間地獄から抜け出して、内定式のTOEICを切り抜け、10月4日までに卒論の原案を完成させねば、ファンブックを読むヒマもDVDを見るヒマもない。ちくしょう! 誰だよ、ナマケモノのおれをこんなに働かせようってやつらは! 解答:東進の上司さま、日立製作所の人事さま、および宗教学科の教授さま。すみません誰にも逆らえませんごめんなさい許してください。

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2005.08.30

ふるさと、再発見。

funatoさんのところで『てくり』という素敵なミニコミ誌を教えてもらったので、公式サイトに行って注文しようと思ったら……売り切れですか。左様ですか。盛岡にいる友人に頼むしかないですね。買ってもらえるかな。

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2005.04.25

自己批判の意味も込めて

ぼくは、他人を批判するのが好きではない。けど、どうしても批判しなきゃいけない、あるいは今後のために批判したほうがいいっていうときもある。おととい、『教養のためのブックガイド』(東京大学出版会)という本を立ち読みして、久しぶりにそう思った。

もちろん、こういう本が出ること自体はすごくありがたい。他の人がおもしろいと太鼓判を押した本なら、自分が読んでも大外れになることはまずないし、実際、そうした情報交換によって、ぼくは読書とか本選びのテクニックをみがかれてきたと思う。だから、大学に入ったばかりで右も左も(ウヨクもサヨクも)わからない新入生にとっては、バランスの取れたブックガイドっていうのはすごく役に立つものだろう。

でも、この本はちょっとマズいんじゃない?

まず、ダメダメな文系教官と、そこそこマトモな理系教官の差がありすぎ。片やヘーゲル『精神現象学』やらカント『実践理性批判』やらをフツーの大学生にすすめるキチガイ文系教官がのさばる一方で、ドーキンス『利己的な遺伝子』からピンカー『人間の本性を考える』まで、分野にまたがる名著をすすめる良心的な理系教官が少なからずいた。これだから文系はヴァカって言われ(ry

つーか、キチガイ文系教官(名前忘れた)は、あのクソ難しい哲学書をマジで学生に読ませたいと思っているのか、あるいは自分で読んで本当に感銘を受けたのか、どっちか片方の条件だけでも満たしているのか問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。あんたヘーゲルとかカントとか言いたいだけちゃうんかと。ちょっと期待していた野矢茂樹教官と、山内昌之教官も、なんかピンとこない本を挙げてたし。

ついでに。人文系の教官は、おのれらの分野の良書を、生物系の長谷川寿一教官にあらかた紹介されてしまったことを心の底から恥じたほうがいいと思う。ピンカーの一連の著作はともかく、ソーカル&ブリクモン『「知」の欺瞞』まで長谷川さんが紹介してるとは何ごと? 人文系、とくに現代思想系の方々は、恥ずかしさのあまり自分のケツも拭けませんか?

あとは、社会科学系が少なすぎるのも気になった。ってか、まともな社会科学系の本は一冊も入っていなかった気がする。とくに、近代経済学を完全に無視して「教養」を名乗っているのは、「編者は左翼です」って公言しているに等しいと思うんだけど、これって深読みしすぎ? お願いですから、編者の好き嫌いだけで社会科学をまるごと抜かないでください。

で、まとめてみると、図らずも「旧教養VS新教養」みたいな構図ができてしまっている。すごく荒削りに言うと、「現代思想・ポストモダン・表象文化論・古典文学マンセー」な人たちと、「心理学・生命科学・物理学・数学(と完璧に無視された社会科学)」の人たちの分裂って感じか。この本の全部じゃないけど、一部には確実にそういう傾向が見える。なんつーか、駒場の教養学部の惨状をみごとに表してしまったようで情けない。ぼくは詳しく知りませんが、中沢新一事件のときからずっとこんな感じだったんですか? とりあえず今は、これを読んだ新入生が勘違いしたテツガク君にならないことを祈るばかり。

(立ち読みだけして批判しているので、覚え違いなどあるかもしれません。間違いがありましたらどうかご指摘くださいませ。あと、立ち読みしただけでクソミソ言ってごめんなさい。先に謝ります)

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2004.12.09

圧倒的な事実の重さ

このごろ必要があって、ラウル・ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅(上下巻)』(柏書房)を読んでいる。ホロコースト研究の金字塔といわれるだけあって、なかなか一筋縄ではいかない本だ。

著者のヒルバーグ氏は、ドイツをはじめとしてヨーロッパ中の文書館を走りまわり、ナチス時代に官公庁が出した法令、書簡、覚書、党の機関誌、民間の新聞、雑誌、敗戦後の裁判記録、果ては個人の日記や手紙に至るまで、あらゆる記録をかきあつめている。そして、史料としての信頼性を検討しながら、執念深く論理を積み重ね、ユダヤ人の虐殺が官僚機構によっていかに組織的・合理的におこなわれたかを描き出している。

底冷えする恐怖、というものを久しぶりに感じた。著者は上下巻1000ページにわたって、ユダヤ人の迫害にかかわる4000を超える史料を引用し、注記しながら論をすすめていくのだが、その書き方がおそろしく淡々としているのだ。この本には、怒りも、悲しみも、嫌悪感も、正義感もない。そこらへんの左翼なら「このような非人道的行為は許されるものではない!」とか「アウシュビッツの悲劇を忘れるな!」とか文章中で200回ぐらいは叫んでいるだろうが、ヒルバーグ氏が書いているのは、徹頭徹尾、史料に基づいた事実のみ。トラックに詰め込まれた死体の数だろうと、墓穴の前に一列に並ばせて射殺することの説明だろうと、ガス室から逃げようとしてユダヤ人同士が撲殺しあったという事実だろうと、著者は一切の感情を込めずに書きつづける。

事実の重さ、というものだろうか。少なくともぼくにとっては、左翼の叫びよりも説得力があったことは確かだ。

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